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◇韓人愛国団第1号団員イ・ボンチャン

李奉昌(イ・ボンチャン)は1901年、今のソウル龍山区に生まれ、日本人が経営する菓子店と薬局の店員、龍山駅職員として働きました。韓国を離れて大阪で働き「木下昌蔵」という日本名で暮らしていましたが、日本で朝鮮人が激しい差別と侮辱を受けるのを見て抗日意識が芽生え、「韓国人イ・ボンチャン」として堂々と暮らせる道を探して1930年に中国上海へ向かいました。

その後、上海の大韓民国臨時政府を訪ねて金九(キム・グ)に会い、独立運動の意志を育て、韓人愛国団第1号団員になり、手榴弾を投げて日王を暗殺する計画を抱きました。1932年1月8日、東京桜田門付近の警視庁前。日王ヒロヒトを乗せた馬車行列が軍隊の査閲式参観を終えて宮城に帰る中、その行列に向かって二つの手榴弾を投げました。

爆発の音が周辺を揺るがし馬車がひっくり返って、警視庁前は血なまぐさい場所に変わりましたがイ・ボンチャンは日王を殺害するのに失敗してしまいます。彼は現場ですぐに逮捕され刑務所に収監されて、同年9月30日、裁判で死刑宣告を受けて10日後の1932年10月10日に市ヶ谷刑務所で命を失くしました。しかし、彼の義挙は世界を驚かせ、独立を願う韓国人の強い意志を世界に広く知らしめる契機になりました。

◇東京の心臓を狙ったキム・ジソプとパク・ヨル

イ・ボンチャン義士の義挙の10年余り前にやはり日本の心臓部の東京で日本国王とその家族らが暮らす宮城に爆弾を投げたもう一人の韓国人がいました。義烈団という抗日団体に加入して上海や北京などの地で独立運動をしたキム・ジソプという人物です。

1923年9月、日本の関東地方で起きた大地震の時、日本に住む数多くの韓国人が日本人に虐殺されるとすぐにキム・ジソプは日帝にし返えしする機会をうかがいました。1924年に東京で帝国議会が開かれ、日帝総理など様々な大臣と共に朝鮮総督が参加するという情報を入手しました。

「関東大虐殺を起こした日帝の手先らを処断し、無念のうちに死んでいった韓国同胞らの怨みの霊を慰めてやる!」

キム・ジソプは日本に渡って日本国会議事堂に入り爆弾を投げようとしましたが、議会が無期限延期になるとすぐに計画を変更して日本宮城に爆弾を投げることにしました。1924年1月5日、キム・ジソプは宮城と宮城の入口にある二重橋に三発の爆弾を投げましたが、残念なことに全部不発でキム・ジソプはその場で日本警察に捕まってしまいました。結局、キム・ジソプは無期懲役を宣告され日本の刑務所に収監されて1928年2月20日、44才の時、監獄で息をひきとりました。

日帝の関東大虐殺中に日本国王に爆弾を投げて暗殺する計画をたてていた人物もいました。18才で東京に渡り、黒濤会などの抗日団体を導いた朴烈(パク・ヨル)という人物です。パク・ヨルは1923年9月3日、日本国王を爆弾で暗殺しようとした容疑で拘束され、我が国の光復まで何と22年2カ月という長い獄中生活をおくらなければなりませんでした。

二人の人物の義挙はやはり独立に向かう韓国人の意志を世界に広く知らしめ独立運動に新しい風を起こしました。日帝に国を奪われ抑圧されて生きた韓国人に勇気と希望を植える歴史的な事件でした。

[関東大震災と朝鮮人虐殺事件]1923年9月1日午前11時59分、日本の関東地域に大地震が起きて東京、横浜地域を中心に途方もない被害が発生しました。日本社会は混乱と不安に陥り、日本政府は国民の非難を避けようと「朝鮮人が暴動と放火を起こした」「朝鮮人が日本人を殺そうと井戸に毒を入れた」などの偽りの噂をまきました。日本国内の不満の矢を朝鮮人のせいにしようとする下心でした。怒った日本人たちが日本に住んだり留まっていた朝鮮人、すなわち朝鮮移住民や留学生など数千人を虐殺した、ぞっとするみじめな事件がおきました。

ソース:朝鮮日報(韓国語) [ニュースの中の韓国史]東京で日帝肝を冷やした独立闘士ら(抜粋)
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コメント一覧
テロ礼賛国
ニューファンタジー?
テロリストしか英雄がいない哀れな蛮族
霞が関と霞ケ浦を間違える面白外人みたい
韓国人なんかもう相手にしない。
嘘つきの低民族。
連邦かー
こんな事繰り返してる連中がどうして日本で穏やかに暮らせると思うんだよ?
テロ民族、バカチョン
チャイナ側について米国と離反すれば
いずれ大使を襲ったテロリストも英雄になるだろう